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『世阿弥の言葉』 土屋 恵一郎

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世阿弥」ときいて、「かなり昔の能役者だったかな」程度しか知識が無かった私ですが、本屋で立ち読みしていてビジネスに応用できると思い購入した一冊です。
この本は、世阿弥の言葉を紹介することで、現代にも有効な生きるための糧や創造の種を見出だしていくもの。

世阿弥は650年前の室町時代初期に生まれた人物で、その言葉を『風姿花伝』という伝書に残しました。
650年前なので写真もなければ、肖像画すら残っていない。
しかし言葉を残すことで、後世にその姿を残そうとしたといえます。
能という新しい芸術に関して、当時は書物などなかった時代だから、世阿弥は自分で言葉を創った人物であるといえます。

世阿弥の言葉は、650年後の今でも理解できるし、適用できる内容だといえます。
その言葉をいくつか紹介していきたいと思います。


■■■目次■■■

第一章 世阿弥の言葉
第二章 人生のシステム
第三章 世阿弥の創造性


■■■ポイント■■■

【私たちの心へ風とともに心の花を伝える、いつまでも「現在」に生きる世阿弥からのメッセージ】

①「初心忘るべからず」
いまだ経験したことのない事態に対して、自分の未熟さを知りながら、その新しい事態に挑戦していく心の構えであり、姿にほかならない。
その姿を忘れるなといっているのだ。それを忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練にむかっていくことができる。失敗のない人間には、このことがわからない。P.17-18

⇒この言葉は誰もが使ったことのある言葉ではないでしょうか?しかし、この言葉が世阿弥の言葉だったということは知りませんでした。この言葉が登場するのは、世阿弥が自分の経験を子供や後継者に伝承することを目的に書かれた『花鏡』という伝書だそうです。つまり、世阿弥が万人に読まれることを意図して書いた文章ではなかったということですね。

世阿弥にとっての「初心」とは、新しい事態に対応する時の方法で、試練を乗り越えていく戦略や心構えのこと。「フレッシュな気持ちを忘れないでいこう!」という程度のことだと思っていた私には、非常にためになる考え方でした。普通に考えられているような「最初の志」ではなく、未熟であったときの最初の困難や、失敗こそが、「初心」とのことです。

⇒若者には若者の、中年には中年の、老年には老年の「初心」があるといいます。これは、それぞれのステージで試練の乗り越え方が異なるということを言っているのですね。

②「時の間にも、男時・女時とてあるべし」『風姿花伝
人それぞれの人生の波があって、男時と女時が繰り返してあらわれる。企業間競争でもそうだろう。相手に男時がきている時に、いたずらに勝負にいっても、効果は半減する。むしろ、相手の男時が弱まるのを待って、いざとばかりにこっちの勝負の手を出すから、その手に意味が出てくる。P.32

世阿弥は、自らに勢いがあることを「男時」、相手に勢いがあることを「女時」と呼んだそうです。

⇒これは、非常に納得できる概念ですよね。私生活においても、仕事においても”波”ってありますよね。「何をやってもうまくいく!」という時期もあるし、逆に「何をやっても裏目だ、、、」という時期もあると思うんです。仕事で、「相手の商品がことごとく販売好調で、こちらが何を繰り出してもまったく売れない」という競争でまったく勝てない時期があると思います。そういうときは、女時なので相手の男時が弱まるのを待つというということですね。

⇒私の仕事関係で、60歳以上の大ベテランから頂いた言葉がこれに通ずるんです。その方はもう40年近く一つの仕事を取り組んできたのですが、「何をやってもうまくいかないときはある。そういう時は待つしかない。」とおっしゃっていました。そして、「待つとっても何もしないのではなく、その間は力を蓄えるようにコツコツとしっかりと仕事に取り組んでいく」と付け加えていました。まさにこの考え方が世阿弥の言葉に通じますよね。

③「住する所なきを、まず花と知るべし」
変化がなければ、ただ惰性の人生があるだけである。自己模倣のうちに、同じ事を繰り返す。そこには芸術の活力も人生の活気もない。P.68

⇒「住する所なき」とは住居がないということではなく、「そこに留まりつづけることなく」という意味だそうです。

⇒年齢を重ねてくると、過去の成功も蓄積されてきてなかなか新しいことに挑戦したり、過去のやり方を抜本的に変えたりすることって難しくなるんじゃないでしょうか?世阿弥はそれを厳しく諫めています。とりわけ当時の能はまだ伝統芸術の地位を確立しておらず、常に新しいものを観客に提供しなければ、人気が衰えてしまうと考えたようです。

⇒変化が必要だと頭では分かっていても、なかなか過去の成功を忘れてまで変化をしていくということは難しいですよね。私も、「変化を意識して物事に取り組んでいるか?」と自問してみると疑問が残ります。この言葉を意識すると、物事に取り組む姿勢が変ってきそうです。

④「稽古は強かれ、情識は無かれ」
人生のうちで、もうこれでいいと思って、自己満足に陥ることがある。それが慢心となって、努力を怠り、謙虚さを失うことになる。世阿弥は、もうこれでいいのだ、ということを人生のうちで認めなかった。いつも完成をめざして努力する。それが世阿弥にとっての芸術家の人生であった。P.79

⇒稽古も舞台も厳しい態度で努めて、決して慢心してはならないという意味になります。

⇒たとえ、慣れた簡単な仕事であっても慢心せずに精一杯取り組むことが大事なんですね。小さなことでもたいしたことないと思うことなく取り組むことが肝要だと世阿弥はいいます。

⇒③の「住する所なきを、まず花と知るべし」にも通ずる考え方だと思います。もうこれでいいと自己満足してしまったら、その仕事には発展性もないし、新しい知見もでる余地がないですよね。どんなことに対しても、慢心することなく、精一杯取り組む姿勢を忘れないでいきたいです。

■■■所見■■■
650年前に生きた人物の言葉とは思えないくらい、現代に通じる言葉が散りばめられています。
逆に言うと、今も昔も仕事や人生に対する正しい姿勢というのは変らないのかもしれませんね。
この本は何度も読み返していきたい本の一冊になりそうです。

この本を読むことで、今まであまり興味の無かった「能」への興味を持つことができました。
自分の世界を広げてくれる読書って本当にいいものですよね。
是非読んでみてください!